私学校龍珉楼第七分館について

私学校龍珉楼は、中国武術の普及啓発を目的とする日本功夫協会とは異なり、古義の中国武術の保存・継承を目的としています。(詳しくは私学校龍珉楼HPをご覧ください。)

教授門派
主として尚雲祥派形意拳の教授を行っています。また、希望する方には七星梅花蟷螂拳や朱家永春拳、八極拳のほか、日本古武道(鐵心武宗流、天然理心流、隻鴈流等)や各種兵器(刀、槍、剣、棍、三節棍、九節鞭、暗器等)の指導も行います。
運営方針等
古義の中国武術の継承者育成を目的としていることから、生涯を通じて武術を追求する決意を持つ方(成人男性)を対象としています(入会時には誓約書など提出いただきます)。そのため単に中国武術に興味があるなどの方には日本功夫協会をお薦めしています。指導は週1回程度、基本的にはマンツーマンにより夜間に屋外にて行います。入会して一定期間武術と向き合う姿勢を見定めた上で、後継者候補たりえると見込まれる場合には、拝師により正式な弟子(門徒)となり、より一層深い指導内容へと進んでいきます。
費用等  
(入会金)3万円、(月謝)月1万円
尚雲祥派形意拳
○尚雲祥派とは                                            数多の形意拳が伝承されている中で、形意拳近世三大名手の一人であり郭雲深同様「半歩弸拳打遍天下」と賞された尚雲祥始祖による実戦経験を踏まえた創意工夫が加味され、通常とは明らかに異なる特徴が見られることから、「尚雲祥派」と称されています。その拳風は内に覇気をはらみ威圧感にあふれ、姿勢は比較的高架で動作は小さくかつ非常に剛猛で、通常用いられる三体式よりも歩幅の狭い坐虎式(小三体式)という姿勢で「地中に杭を穿つがごとく」と言われる力強い跟歩を多用します。また、一般に基本とされる五行拳のほかに「馬蹄十字弸拳」と「虎撲手」が補助套路として含まれます。この伝承は尚雲祥始祖より呂泰英師爺を経て呉伯焔老師より伝えられ龍珉楼において継承されているものです。                      
鐵心武宗流剣術
○歴史と沿革                                             鐵心武宗流(鐵心流)は平岡家に江戸中期より伝わる流派で、流祖は平岡半之丞道武(法名:鐵心)である。江戸城部屋住みの大名であった平岡家は代々家芸である剣術をもって幕府統制の裏の活動を請け負っていたと伝えられ、その活動に伴い日本各地の他流派の研究をおこない、自流に取り入れていったとされている。その役割から伝承自体も秘匿され、流派名すら長期にわたり公にはなかったが、幕末に至り平岡家と当時親交のあった、中村半次郎(注1)こと桐野利秋により現在の抜刀術と組太刀による体系に整理・改良された。桐野自身は道統を受け継ぐことは出来なかったが、その後、師範家であった山本鐵心斎兼舎(道統第7代)を経て平岡鐵心斎兼明(道統第8代、私学校龍珉楼館長 呉伯焔老師)より平井鐵心斎兼重(道統第9代、私学校龍珉楼第7分館長 梁守武)へと受け継がれている。                                                                                       ○技術面での特徴                                                まず抜刀術が第一であり、それに失敗もしくは他に敵が複数存在した場合の斬り合いを想定しての組太刀により構成され、殺傷力を主眼とする古流独自の技法が随所に見られる。示現流がベースにあることから(注2)、立木打ちによる強大な斬撃の養成を基本とし、組太刀には野太刀自顕流と共通する技法も見られるが、主として他流との折中と思われる技法がことのほか多い。抜刀術については、居合などで説く処の「鞘の内で斬る」といった「後の先」ならぬ「先の先」により、相手が刀を抜き放つ前に抜きつけに斬り倒すことを旨とし、太刀行きの速さと正確な斬撃により敵に「受けさせぬ」「止めさせぬ」「敵の刃が届く前に斬り倒す」ことを主眼としている。また、技法上、特に抜刀術については平岡家の役目により培われた実戦での経験が色濃く反映され、室内での戦闘や多人数の敵を想定しての斬り合い、更には待ち伏せによる襲撃(上意討ち)や、逆に待ち伏せする敵室内への突入など、通常よくある敵に相対しての1対1でのものはほとんど見られず、まさに実戦を生き抜く為の要諦が結実されたものとなっている。                                                                                    注1)薩摩における平岡鳩平(北畠治房)との交流を縁に維新後も親交が深かった。            注2)流祖の道武は示玄流(喜連川藩)を修めた後、享保15年に薩摩にて傑山流の免許皆伝を受けている。
 

老師遺訓述懐集(私学校龍珉楼私家版:1984年呉伯焔老師編)抜粋

かつて呂泰英師爺(注1)が呉伯焔老師に対し、主に八極拳について話をされたものの中から、修行上の心得など形意拳修行者にも参考になる部分を抜粋してご紹介します。

【1】用法と実戦

「八極拳には用法なんて必要ないんだ。むろん基本的にはいくつかは学ぶが、それはあくまでも八極拳がどういうものかを知る上での過程にすぎないのよ。よく世上一般に“八極拳実戦用法”と称してごちゃごちゃ用法をならべたてている者が多いけど、ありゃ本当の意味での八極拳を理解しとらんからじゃ。これは形意拳にも言える事だね。だいたい考えてごらんよ。いくら百や二百も使い方を覚えたとしても、実戦で使うのはせいぜい一つか二つぐらいのもんじゃ。実戦と言うものは単純な試合とはまるで次元が異なるもので、互いが生死をかけて張り合うもの。そんな極限下に於いていったいどの程度の数の技が出せるものか。おまけに相手が何の門派であるか(どのような技を使うか)、全く予想がつかないだろう。そんな中では型もへったくれもないし、心理的にも最も自分が自信のある技、即ち得意な技を使うのが常識となってくる。なんたって実戦と言うものは一歩まちがえば命を落とすからね。自分も相手もおのずから慎重にならざるをえないんだ。従ってニラみ合いが続いたあと一瞬で勝負が決まるものよ。そんな時に百も二百も用法は必要ないね。李書文先生の“猛虎硬爬山”、郭雲深、尚雲祥先生の“弸拳”など、史上無敗と言われた人は皆、自分の得意な一技で勝敗を決めているが、これはすべてこのような理由によるものなんだよ。」


【2】試合と実戦

「八極拳は試合なんてどうでもいいんだ。負けても勝ってもふだんにやってればそれでいざと言う時には役に立つ。役に立てるか立てないかは心の問題よ。八極拳も形意拳も修行者が挫折する大半の理由は“心”に問題があるんだ。知っての通り、なんたって八極拳も形意拳も一般の門派に較べりゃ技は単調単純きわまりないからね。そこで修行者はこう思うんだ。「はたしてこのようなモノで実戦の役に立つのだろうか?」と。この心の迷いが失敗挫折に導く原因となるのよ。(中略)術技なんて二の次さ。要は修羅場で強いと言う事がかんじんなんだよ。」

【5】練習上の要領その他

「まず第一に正確な動作(身法・歩法・型等)を心がける事。次に一回々の反復に真剣になる事。疲れたからと言って決して技の途中で気を抜かない事だ。一回套路を練習するたびに全精力を注ぐ事だ。その繰り返しが結果的に迫力を生み出す事につながるんだよ。この“迫力”とは古い言葉で“気組”と言うんだ。八極拳ではこれを最も重視するんだよ。“気組(迫力)”で敵を圧倒しつつ凶猛な発勁(威力)をブチ込むんだ。発勁によって肉体的ダメージを与えると共に“気組(迫力)”によって心理的ダメージをも与える事が大切さ。故に名手高手と呼ばれる人の一拳一足はたとえ演武と言えどもすさまじい迫力があるものだ。それから第三に練習中には余計な事を考えないこと。他人が見ていようがいまいがとにかく打突の際は打突の事だけに意識を集中し、跥子(注・震脚)の際はそれのみに注意を払う事。自分で自分を追い込んで必死になって行う事だよ。」

注1)呂泰英師爺(1894~1983)は心意六合拳を呂学隆、形意拳を尚雲祥、八極拳を張玉衡より学ばれている。

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